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牡蠣の町 厚岸

カキどころ厚岸の歴史

 道内で食卓にのぼるカキの多くは本州産−それも宮城県松島湾の養殖ガキだと言われています。松島産は種類からみるとマガキ、道内産も今はほとんど松島生まれの子貝の養殖なので、松島とはいわば親子の関係です。
ですが、こうした結びつきの背景には豊富な道内の天然ガキの乱獲の歴史がありました。

 カキどころ厚岸(アイヌ語でアツニケウシ)。その語源にアイヌの衣服となる樹木の皮をはぐる所と、カキの漁場を意味する、の二説があるように、厚岸のカキの歴史は古く、文化年間(1804〜1818)の『東蝦夷地各場所様子概書』の"悪消場所"の項目には『食物は雑魚あるいはカキ、ホッキ貝、ウバユリ、キトビルの根を掘り食す』と書かれており、さらに厚岸湖畔にある貝塚にはカキ殻が多く残されていることからも、カキは古くから重要な食料源であったことがうかがえます。

乱獲による絶滅の危機

 厚岸でこのカキの商品化に初めて手を付けたのが小島利兵衛(山形県出身)です。明治4年北海道に渡り、同8年厚岸湖のカキ研究を志し、同12年、湖畔の奔渡に移住しました。同13年、初めて製造の官許を受け、干しガキを製造しました。同15年、建部丑之輔(新潟県出身の士族で屯田兵士官)がサロマ湖で干しガキを製造するために清国人の黄三梅を雇い入れしましたが、この時に黄三梅について干しガキやカキ醤油の製法を学びました。同16年、東京における水産博覧会に干しガキを出品して好評を博し、審査官 串田八十吉が横浜在留の清国商人に品評を求めたところ、高い評価をうけ、同年に初めて清国商人に販売しました。

 一方、道産品の開発にやっきになっていた開拓使もカキに注目、明治12年から別海町の缶詰製造所でカキの缶詰製造に着手。さらに同年7月、厚岸に缶詰製造所を新築、本格生産に乗り出しました。缶詰製造所では、春秋はカキ缶詰を、冬は鹿肉缶詰を製造し、閑散期にはブリキを切断し缶胴をつくり、蓋を打ち抜く、缶詰実習学校でもありました。製造技術が稚拙なため、カキ缶詰は黒色を帯び、液汁が混濁して外国製品に劣るため、販路が開けず、明治15年3月作業を中止しました。

 厚岸町奔渡町の土地を少し掘るとカキの殻が次から次へと出てきます。奔渡町はカキ殻の埋立地にできたといわれるほど乱獲が続きました。そのため明治20年頃から厚岸のカキは目にみえて減産、明治末から大正初めにかけ無尽蔵といわれた天然ガキも絶滅の事態を迎えました。

純厚岸産カキ「カキえもん」の復活

 厚岸天然ガキはナガガキ、俗にエゾガキとも言われ殻も肉も大きく、中には長さ20cm以上の大きさのものもありました。それが厚岸湖のカキ礁にて口を上にむけて立って密生していました。当時の人々はカキ採りには5cmほどの厚さの板をゲタのようにはいて、潮が引いたときにカキの上に炭火をおこし、口を開いたものから順々に食べたものだそうです。それが乱獲のため全くとれなくなりました。
この対策として厚岸町では明治36年から増養殖の取組がはじまり、湖内に2カ所の養殖場を設けるなど、色々な養殖方法が試みられましたが、効果は上がりませんでした。大正9年に宮城県から、11年にサロマから種ガキの移植を試みますが、これも失敗に終わりました。このあと何回も同じ試みが続いて、昭和に入りサロマの種苗を養成したところ徐々に養殖の成果が上がってきました。
昭和10年になると、宮城県産の種苗を大量に購入し、地蒔式(じまきしき)で養殖され、その後効果が現れ始めましたが、昭和40年代、50年代と生産量は落ち込みました。
昭和58年、地蒔式養殖場を中心とした大量へい死が起き、カキは垂下式養殖に切り替わり牡蠣島はアサリの養殖地へと変わっていきました。

現在の養殖方法の垂下式はロープにホタテ貝殻を1枚1枚15〜20cm間隔で通して数珠状に連ねたものに稚貝を付着させ、養殖施設に垂下します。この稚貝は宮城県の種苗移入に100%依存している状況にありましたが、数年前から厚岸町では「厚岸生まれ厚岸育ちの純厚岸産カキ」を復活させる取り組みを展開し、平成11年に厚岸町カキ種苗センターが建設されました。厚岸町カキ種苗センターは日産4tの餌料用微小藻類の培養装置・母貝・幼生・採苗・中間育成の飼育設備を陸上人工採苗生産システムとして構築されました。今日では厚岸生まれのカキ種苗が数百万個単位で生産されています。
この純厚岸産のカキは平成16年10月に「カキえもん」という商品名で販売を始めました。

 厚岸産のカキは通年通して食べられますが、夏場は産卵期のため栄養分が少なく味は落ちます。やはり冬場の"寒ガキ"が大変美味しいです。 とれたての新鮮なカキにレモンを落としたり醤油をつけたりして食べるのが一番という人もいますが、焼きガキも絶品です。殻付きを炭火に乗せ、ちょっと口をあけた頃をみはからって身としみ出てきた汁をすすります。また、カキ、白菜、長ねぎ、豆腐、春菊などを味噌味で煮る土手鍋、酢の物、フライと洋風、和風どちらにも合います。生でも、調理しても、それぞれの風味を楽しめるのがカキの特色です。

 明治末に天然資源が枯渇したゼロの状態からサロマ湖や宮城県産種苗によって徐々に回復し、そして平成16年の純厚岸産カキ「カキえもん」の復活まで約100年の時間が過ぎました。
先人達から受け継がれ現在に至る歴史と共に厚岸産カキをご堪能下さいませ。

参考資料:「厚岸の史実」
資料提供:厚岸町教育委員会海事記念館 TEL(0153)52-4040